手芸じゃなくて体芸
『人はどこまでカタカナになれるか』という記事を書きました。 前に書いたアルファベット版の別バージョンが出来ないもんかいな、とずっと思ってたけど50音という文字数の多さから延び延びになってたんだったのをやってみた。
ちょっと書き慣れてきた気がするようなそうでもないような。
前回と今回の間隔は短めでしたが基本的に月1で書きます。
この「カタカナになる」という訳の分からん作業だが、意外とやってるうちに慣れてくるもんなのだ。
時間がかかるのは、一つ一つの撮影というよりも『サ』や『テ』など、
全くどうしたらいいのか思い浮かばない文字についての検討作業。
紙に文字を書いてみて、どっちが頭か、どのパーツをどこに利用するか・・・等々。
そんな難関文字が大体1日1つずつぐらい出現したような気がする。
それが各面の中ボスだとするとラスボスは『サ』だが
意外に早く出現してしまったので、「あのボスを倒せたならこっちの弱い奴も倒せない訳がない」みたいな理論でクリアしていった気がする。
今回のは「身一つで誰でも出来る」分野でもあり(するしないはさておき)
自分の身に置き換えて見て貰える分、手芸なんかよりも難易度や技術面が伝わり易かったりするかもなーとちょっと思う・・・・が
なんかこういうのって、撮り始めると満足いく形状になってくれるまでのめり込んでしまう性質で
撮影も執筆も全部終わってから画像枚数数えてみたら600枚もあってふいた。
「えええwwろっぴゃくってw!!」と。
そのズラリと並ぶサムネールを眺めつつ、
俯瞰の自分が「この人はバカなんじゃないか」と言いつつ笑いが止まらず、
痛くなった事のない脇の下の筋が凄く痛いその状況すら面白くて
あーーーもっとこの手の撮影をしたい・・・・もっとなんかこういうの撮りたい・・・・という撮影欲が。
一緒にやりたいと言ってくれる友人も居るので
次回こういう撮影(って何の撮影だ)をする時は複数名で案を出し合いつつやっていくのも面白いかなーと思う。
個人的に好きなのはこれだ。