サハリンはどれくらい日本で、稚内はどれくらいロシアか
日本から一番近い海外はロシアだ。
ロシアのサハリン(樺太)の南端と日本最北端の稚内市の宗谷岬は、距離にするとたった43キロ。そのわりに日本人にとってロシアという国は身近でもなく、いまだ「ロシア……おそロシア……」という印象を持ってる人が日本には多い。
43キロというとだいたい東京駅から八王子ぐらいなもんだ。なのにロシアに行くことに対する気軽感はまるでない。
稚内では標識や店の看板にロシア語が併記されてるらしく、サハリンでは日本領時代の名残が残っているらしい。サハリンは元々日本領だったのだ。
……ということは、
稚内には多少のロシアっぽさが、サハリンには多少の日本っぽさがあるのかも?
稚内からサハリンに移動すれば、なんとなくその境目を味わったりできるのでは……??
そんな訳で、真冬のサハリンと稚内を探検してみよう! ということになった。
ちなみに同じ飛行機の搭乗者には、まったく日本人が見当たらないし、機内で見かける文字に英語の併記はまったくない。不安だ。
- サハリン編
- 稚内編
サハリン編
飛行機が遅れ、日が暮れてから到着した。サハリンの空港は小さい。両替所もない。(両替、ほんとは到着してからした方が得なのだが、仕方なく日本でしてきた。結構違って1万円ぐらい損した)
私は10年ぐらい前からロシアのことが妙に気になるようになり、2017~18年は2年連続ロシアを旅行した。なので今回が3回目のロシアなのだが、いまだにロシアのキリル文字がまったく分からない。「アルファベットの33文字ぐらいは覚えよう」と頑張ったが、まったく頭に入ってこない。
更に、日本国内にはサハリンの情報が少なすぎるのだ。サハリンの情報が載ったガイド本も少なく、『地球の歩き方 シベリア&シベリア鉄道とサハリン』に何ページかあるだけで(※その後3月に発売された2019~2020年版にはたっぷり載るようになったが)、あとは旅行者による個人ブログ(しかもどれもこれも夏)の情報。あとは稚内市役所のサハリン課(そんなのあるのか!)のサイトには季節ごとの出来事や市内の様子は書いてあるようだけど、
そもそも公共交通機関の使い方、タクシーの呼び方もよく分からない。(その辺のタクシーを呼び止めて乗るのは治安の問題で絶対NGらしい。配車アプリが使いこなせるようになれば簡単とのこと)
文字も読めないし、英語も通じない(ワン、ツーすらもあまり通じない)となると……最初に基本的な移動の仕方、ざっくりとした街の事情(行ったら危険な場所とか)ぐらいわかっておかないと、相当旅に支障をきたす気がしてきた……。この情報の少なさは少し怖いので、ちょっとだけ現地ガイドを頼むことにした。
初めてのユジノサハリンスク
滞在の拠点は州都のユジノサハリンスク。昔は「豊原」という地名だった場所だ。
鉄道の駅近のホテルを選んでみたが、この州では鉄道は「遠くに行くためのもの」で路線が少ない。更に通勤の人が街に出てくる時間に合わせて電車が走るようなので、移動にはとにかくバスを使うことになる。なので全然駅近の意味はなかった。
マイナス10度以下を経験したことがない問題
ところで本州生まれ本州育ちなので、体験したことがある低い気温というとせいぜいマイナス5~6度ぐらいなものだ。
行ったのは1月末~2月初頭なのだが、ちょうどその頃だと
【ユジノサハリンスク(サハリンの州都。滞在予定地)】
- 平均最高気温:マイナス5~6度ぐらい
- 平均最低気温:マイナス17度ぐらい
【稚内】
- 平均最高気温:マイナス2度ぐらい
- 平均最低気温:マイナス7度ぐらい
いったいどういう服装で行けばいいのか分からない!!!
稚内の方が全然あったかいのかと思いきや、稚内のほうが風が強く、体感気温はサハリンよりもっと寒く感じるとか。とにかくマイナス20度にも耐えうる対策はしておこう。
寒冷地在住経験者に「そんなにとんでもない格好をする必要はないのでは」という助言はもらったが、やっぱりピンとこないので
「マイナス20度 服装」みたいなワードでとにかくググりまくる。
ただ歩くだけじゃなく、かなり長時間屋外を散策する可能性もあるのだ。そうなると身体のどの芯がどう冷えるか分かったもんじゃない。
一気にドカッと防寒対策のアイテムを入手したい。そこでこれだ……!!
メルカリ!!!
そもそもこの企画、稚内とサハリン両方に一気に行くとなるとお金もかかるし、まず最初は国内の稚内だけにしとくかなーとか思ってたところ、
なんとあるきっかけで
「この企画、メルカリがスポンサーとして応援してくれることになりました!!!」となったのだ。
ここは遠慮なくスポンサーのメルカリを使って必要なものを探しまくろう!
メルカリに「防寒」「ダウン」「裏起毛」「雪山」「樺太」みたいなワードを登録しておくだけで、どんどんお知らせがきた。適当な検索ワードだったのに、ちゃんと情報を集めることができてびびる。
そしてこんなラインナップが揃った。
【ウルトラライトダウンのロングコート】
ここはファッサーーッッと毛皮のコートでも……! と最初思っていたが、
- フードはあったほうがいい
- 袖口が腕にフィットしてないと冷気が入ってきてヤバい
- ファスナーにカバーが付いてるタイプじゃないと隙間から冷気が入る
などの情報が出てきた。
うーーん……これなら元々持ってるダウンのロングコートの下に薄手のダウンを着ることで、ダウン×ダウンのフッカフカだけど温度に応じて調整もできる作戦でいくのが良さそう。
【目出し帽】
冬の登山やアウトドアでの必需品で、「バラクラバ」というものらしい。見てるうちに、ネックウォーマーより、耳や顔まわりをしっかり覆いたくなってきた。
【足用ホッカイロ】
足が冷えると命取りになるらしいのでゴソッと購入。
【ウィンタースポーツ用靴下】
スキーやスノボのときに履く用のぶ厚い靴下。足はホッカイロとこの靴下のダブルでいこう。
【発熱するぽかぽか冷え取り靴下】
足の冷え対策用品を探してたときにたまたま見つけて買ってみた。しかしどんだけ足からの冷えにびびってたんだ……。
【カメラ用グローブ】
撮影しつつの旅になる予定だが、そもそも素手でカメラを扱ったりできるものなのかどうか。冬山でカメラを扱えるグローブというのがあるらしい? という情報から辿り着いたのがこちら。雪山用はちょうど良いのがなかったため、防寒機能もあるのでこのフィッシング用を選んだ。
【裏起毛あったかレギパン】
裏起毛でダウンのレギンスパンツ。ズボンの下に履くために購入。尻も足もこれでもう安心。
【ヨーロッパ・アジア周遊(53か国)4Gデータ プリペイドSIM】
これがあればロシアでもインターネットが出来る……! というかこんなものも買えるのかメルカリ!
【絵で見る樺太史:昭和まで実在した島民40万の奥北海道】
樺太の歴史がマンガで簡単に分かる! 的なのを求めてたら辿り着いた。小学校高学年ぐらいの教科書っぽい簡単さで入ってきやすい本だった。
防寒からインターネットまで。それだけじゃなく歴史の勉強までもメルカリ任せだ。便利だなぁ、メルカリ!!
そんなこんなで準備は整った。
ダウンの上にダウンを着こみ、カメラを扱う指は動かせるようにして……
外に出ると、ガイドさんが迎えに来てくれてたぞ。わーい!
「よろしくお願いします。ところでこんな寒冷地でデジカメやスマホ壊れたりしないんですか?」
「??? カメラの調子が、悪いんデスカ……??」
「いや、このぐらい寒すぎると電子機器って使えなくなったりしないのかなと……」
「?? 使えマスヨ?」
寒冷地で電子機器が故障しないか心配だったので聞いてみたが、あんまりピンときてない様子だった。このレベル(日中マイナス7度ぐらい)ならどうやら大丈夫らしい。
「日本語お上手ですね。日本に住んでたことがあるんですか?」
「住んでたこと、ないデス。コレは、趣味です」
「趣味……!!」
すごいな……趣味かー。私は趣味でロシア語やろうとして一瞬で諦めたけど……。
着こみ過ぎだとロシアでは「キャベツ」と言われる
気温はマイナス7~8度ぐらいだが、なんとなく冷凍室に入ったような感覚。「こんなの初めて!!」っていう感じはまったくない。
マイナス10度以下に備えてダウンコートをダブルで着ていたのだが、よく見たら……地元の人たちは意外に軽装だ。
こっちはコートだけが二重なわけではない。ズボンも二重だし、帽子もその辺を歩いてる誰よりモコモコだ。
そういえば、なんだか暑い。汗ばんでいる。やばい、着込みすぎたか。
そしてサハリンではどこの飲食店でもコートをクロークに預けるシステムになってるのだが、どう考えても他の人と比べて脱ぐものが多い。
「暑いんですけど、もしかして着過ぎですかね?」
「そんなにたくさん着てる人はいません」
「え! いない……!?」
「ロシアでは、たくさん服を着てる人のことを、キャベツと言います」
けどマイナス20度にもなり得るならキャベツにならざるを得ないだろう……。
地元の人の話を聞きつつ街を散策
歩きつつ、色んなものについて説明を受ける。まず街のど真ん中に公園みたいな感覚でスケート場があるのからして珍しい。
店ひとつとっても何の店だかまったく予想がつかない。
「これは24時間やってる花屋デス」
「え! 花屋が24時間……?」
「コチラでは、男性が女性に、花をとてもよく贈リマス」
「よく贈る」といったって、24時間営業っていったいどういうレベルで贈るんだろう。
ほかには
「食料品など大陸から運ばれてくるものは価格が高い」とか、
「年金は55歳からだ」とか
「モスクワから遠い極東ロシアの人へのサポートは充実してる(例:モスクワ行きの航空券の価格が安い)」とか
そんな話を聞きつつ案内してもらう。
バスに乗って『樺太神社跡』へ
つぎにバスの乗り方を教わる。
まず向かうのは『樺太神社跡』。いくつか残ってる日本統治時代の場所のひとつだ。ホテルの近くからバスに10分程度乗車したら着いた。
神社へ行く石段があった場所は、今ではすっかり緑地として整備されてる。昔はこんな風に鳥居があったが、面影があると言えばある……ないと言えばない……ぐらいな感じ。
すぐ横には戦争犠牲者を悼む『栄光広場』というのがあり、神社の宝物殿は今でも残っている。どうやらこの森のほうにあるらしいが……
「(宝物殿には)雪があるので、今は入れません」
「いま入れない……!!!? (ガーーン!!)」
石段を上り、普通に行けるところまで行ってみたら、戦車があって犬が居た。
そして階段の脇には、大量の鍵が。ハート形のやつ。
こういう文化やバレンタインなんかも、ここ10年以内ぐらいのところで盛んになってきたらしい。
「ユジノサハリンスクって、ここ10年でだいぶ変わったんですか?」
「文化も、街も、発展しました」
ここで、事前に聞いてた話を思い出した。旅行直前にたまたま「10年ぐらい前まで、サハリンに仕事でよく滞在していた」という人に会う機会を得て、話を聞いてたのだが、
そのときには
「夜は絶対にひとりで出歩かない方がいい」
と言われた。
けど、それについてガイドさんは
「今は治安もいいので、夜おそくまで歩いても大丈夫」
という。
10年でかなり発展したのだ。
道も歩きやすいし(とは言え雪で隠れてて見えない場所も多いが……)、通りによっては新しい建物も多く、景観もきれいだ。町の規模も日本の地方都市みたいなコンパクトさがあって、バスの使い方さえ分かればあちこちまわりやすそう。
どうしても「樺太……」「シベリア……」みたいな単語からは、北の果ての閑散とした場所を連想をされがちだが、それとはかなり印象が違う。
土産物屋に行こう
観光客向けの土産物屋に案内してもらい、不明点を聞きまくる。なんだかよく分からないものについて今のうちに聞いておこう。
ロシアを旅行してると、日本にはないタイプの帽子をよく見かける。
一昨年ウラジオストクに行ったときに見慣れない帽子があり、買ってかぶろうとしたらそのときのガイドさんに「そんなのかぶったら変ですよ」「それは飾るための帽子ですよ」と言われた。
外国へ行くと、実用品なのか飾るためのものなのか、判断が付かないときがある。
これも一昨年の旅行で見たものだが、この皿は普通に使うために買いそうになった。だが実際は、飾るための皿なので食べ物を乗せるのはアウト。
確かにそう言われてみれば、口に入れたらいけない塗料を使ってそうに見えてくる。
なのでこれを店で見つけたときは、ほんとにかぶる用のものなんだろうな!? としつこく確認してしまった。
買おうとしたときにレジの前にブタのグッズがいくつかあった。なんだろう、これ。
「これはなにかのキャラクターなんですか?」
「これは今年の干支です」
「え、干支!!!??」
そもそもロシアに干支があるのも意外だったし、
国によってイノシシがブタになることは知ってたが、こういうタイプのデフォルメになるとは。
ついでに空港の免税店ではこうだった。国によって干支も雰囲気が違ってて面白い。
『北海道センター』へ行き、タクシーアプリ『ヤンデックス』と格闘
『樺太神社跡』や『栄光広場』からちょっと歩くと、『北海道』という店があり、その隣に『北海道センター』があった。
聞き慣れた地名ばかりで妙に安心感ある区域だな……と思ったら、『北海道センター』には日本領事館も入ってるし、北海道の道職員駐在のサハリン事務所もある。あー、ピンチのときに駆け込む場所か……と思いきや、観光案内所やカフェもある。日本語パンフももらえる。
サハリンに初めて来た日本人がまず行っておくと、かなりの安心感を得られる場所だ。
受付はロシア語しか通じないが、たまたまガイドさんが居たお陰で話が通じ、日本の人に繋いでもらえた……! そして目的を話したところ、地図をプリントしてもらう。
一連の対応に「ここ、本当は日本なんじゃないか?」と思えてくる。
実はこのとき、タクシーアプリの設定に手こずってたのだ。
タクシーアプリはインストール後、アカウントを作成する必要があるのだが、「電話番号登録」というのが手順にある。
- 電話番号を登録すると、SMSにパスワードが送られてくる
- パスワードを登録すると、アカウントの作成完了
……となるのだが、海外SIM用の電話番号になぜかうまく繋がってくれない。日本でアカウント作ってくればよかったが、そもそもサハリンでどのアプリが使えるって情報が掴めなかったしな……。
ちなみに、サハリンで使えるタクシーアプリは3つぐらいあって、そのうち2つを紹介してもらった。
『ヤンデックス』については、前にモスクワやサンクトペテルブルクへ行ったときにも重宝したやつで、ロシアの広範囲で使えるらしいとは知っていた。(そのときは同行の友人のスマホから呼んでもらってたので、私個人のアカウントは作ってなかった……)
ただまさかそんなフィンランドのすぐ隣みたいな街から日本のすぐ近くの離島までの広範囲を網羅してるとは。
遠すぎるからてっきり無理だろうと思ってた、『ヤンデックス』……。
で、設定が上手くいかないのだ、この『ヤンデックス』が。
もういっそ、『ヤンデックス』諦めようか……と思ったが
「バスは番号がたくさんあって意外と複雑なので、色々行きたい場所があるならタクシーは使えるようにしとかないとキツイと思いますよ」
と言われ、
(※バスは市内だと距離に関わらず20ルーブル=40円弱、タクシーは130~150ルーブルぐらい=250円ぐらい)
それじゃちょっとWi-fi貸してもらえますかね、設定試したいんで……と図々しくお願いに出る。もう完全に日本国内の気分だ。
あれこれ良くしてもらったにも関わらず結局ここではうまくいかず、ホテルに戻ってやり直したらどういう訳かうまくいった。ひとまず安心した。
ハウツー・サハリンのバスやタクシー
ガイドさんとはここでお別れだ。今後は、言葉が一切読めないバスとタクシーを乗りこなす必要がある。
バスに関してはとにかく行きたい場所を片っ端からガイドさんに伝え、「そのときは何番」「それなら何番」「通り過ぎても環状線だから小一時間経てば元の場所に戻ってこれる だいじょうぶ」と情報を刷り込んでもらった。
タクシーはというと、
地図上で乗る場所と行き先を順番に選択すると、車のランクと価格が出てくる。これで「オーダー」をクリックすれば完了。
運転手側にも自分の居場所はGPSで知らされてるし、
こっちにもタクシーの車種、細かい居場所、所要時間などがアプリ上で見られるようになっている。言葉は一切喋る必要はない。
これがあのでかすぎるロシア全土で共通で使われてるって、すごくないか。
稚内からの船が着く街・コルサコフ(大泊)へ
稚内から43キロしかないサハリン最南端のクリリオン岬(西能登呂岬)へ行って日本を見てみたかったが、どうやら難しいらしい。
クリリオン岬までは整備された道路もなく、電車もバスも通っていない。雪がないときですら地元を熟知してる人と一緒にしっかり準備する必要がある。こんな真冬に行ったら100%アウトだ。
……というわけで、行ける範囲での南のほう……コルサコフ(大泊)という港町へ行ってみよう! コルサコフ港は稚内港と航路で繋がっており、夏季限定でフェリーが行き来している。昔は樺太の玄関口としても栄えていた場所だ。(昔は『稚泊航路』と呼ばれていた)
ユジノサハリンスクの駅前からバスが出ていて、所要時間は40分程度で着く。
しばらく乗車してると、街からひと気のない道が続くようになる。
ユジノサハリンスクの市内にもそんなのなかったのに、こんなところにあるのかセブン!
途中から乗車してきた中年男性と運転手がなにやら怒鳴り合いを始め、そのままバスは進んでいったが、状況がまったくわからない。ほかの乗客は普通にしてるので、そんなもんなのだろうか……とボーっと眺める。そうこうしてるうちに口論もおさまり、無事到着した。なんだったんだ。
バスで移動し、港の近くに着く
バスは、コルサコフ港から歩いてちょっとの場所に着いた。印象としては、地方の集合住宅が多い地域といった感じ。人口は3万人ほどらしく、町としても小さい。ここに住みつつ都会に通って働いてる人も多いみたいだ。
市場や店がたくさん並んでる。観光の時期でもないし、今ここに来るのはほぼ地元の人なんだろう。
看板でよく見かける単語はなんとなく覚えてくるので、「スーパーマーケット」ぐらいは読めるが、それ以外は入ってみるまで一体なんの店なのかよく分からない。
港町なので、海産物が多い。ホテルに電子レンジがあるので、レンジで温めて食べられるものなら買っても良いのだが、魚丸ごとはちょっと厳しいなー。食べてみたいけど。
屋外だと魚が普通にガッチガチに凍ってる風景も、普段見慣れないので珍しい。
スーパーみたいに色んな食べ物が置いてある商店もあれば、専門店っぽい店もある。
量り売りの食べ物を買ってみたいけど、買ったところでどうにもできない……。この近くにキッチン付きの宿でも借りてれば……いや、もしキッチンがあってもどう調理したらいいのか。
キムチ専門の店もあった。日本の食文化は輸入品ぐらいしか見当たらないが、キムチはスーパーに必ずあってよく見かける。
サハリンには朝鮮系の人も多く、ここの店主のおばさんも多分そうだ。ただし、なにを話しかけられているのかがまったく分からない。
なんとなくだが、どこから来たのか聞かれてる……? ような気が……?
えーと、「日本」は確かロシア語で……
「オーー、ヤポネ!」
つ、通じた……!!?!?
そうです! アイアム ヤポンスキー(日本人)!!
会話ができた気になって喜んだが、聞かれてたことはほんとに合ってたのだろうか。
魚を売ってるすぐ傍におもちゃ屋
基本的に食べ物を売ってる商店が多い感じだが、同じ並びに「絶対ここ、食べ物売ってねえな」という装いの店があった。
手作り感も暖簾もひと昔前っぽさ溢れる上に半額を強調しまくり。これは気になる……! 入ってみると……
奥に行くと……
子供用品全般が売ってる店っぽいが、やばい、、楽しい……。
写真を見返してると、せめてこの歯科矯正のだけでも買って帰ればよかった……と思えてくる。欲しい……。
遠くに見えるか!? 日本を探せ……!
このコルサコフから日本まではこんな距離だ。なんかこう、やる気を出せば海の向こうに日本が見えそうじゃないか。
よし、見晴らしが良さそうなところまで行ってみよう……!
ちょっと上ると海が見えてきた。氷が張ってる……!! え、もしかして流氷……?
うわー、見るの初めてだ!!
(※数日後、これはまったく流氷ではなくただ氷が張ってるだけと判明。流氷とはオホーツク海側から流れてくる氷で、この辺ではあまり見られない)
坂を上がってくると集合住宅地が多く、下校中っぽい子供がよくいる。なので「知らない異国のよく分からない道、歩いてて不安」みたいなのはないが、向こうの方がこちらに対して怪しんでいやしないだろうか。
(帰国後に知ったが、ここは港を見渡す展望台で、上の写真で後ろにあるのは『朝鮮人望郷の丘碑』というものらしい。ほかに観光客がいないと、どこが観光地なのか気付かず通り過ぎてしまったりする……)
そしてこの辺の飼い犬なのかノラ犬なのかよく分からないが、ここでもよく犬が出現する。急に現れてじゃれ合ったりする。
更にいきなり大量に出現したりするのでびびる。(動画も撮った↓)
歩いてると、また『セブンイレブン』を見つけた。
サハリンのセブンってどんな感じなんだろう。
入ってみると、見慣れたコンビニっぽさはなく、他の商店とそんなに雰囲気は変わらない。
住宅地だからか、『セブンイレブン』以外にも商店やスーパーマーケットが多く、どうしても入って見てしまう。探検してたつもりだが、商店めぐりっぽくなってしまってる。
しばらく歩くと、日本がある方角に海が見えた。この新しそうなマンション(?)の脇を歩いて、海のほうに行ってみよう。
行けるところまで行ってみたが……
なんとなく…… 島のようなものが…… 見える……ような…………??
なんとなく、ほら、島影が…… ほら、島影……
きっと日本だろう! うん、そうだ。
せっかくだから、日本(と決めつけた島影)と記念に一枚。
日本っぽいものが見えたぞ! やったー!!
(※コルサコフと稚内は直線距離で160キロぐらい離れており、見えることはまずない……とその後判明……)
『北海道拓殖銀行』と『稚内公園』へ行く
高台から街に戻って、もうちょっと見てまわろう。
犬に気を取られて滑って派手に転んだりもした。尻が痛いが、そんなことよりコルサコフには樺太時代の建物がまだそのまま残っていたりする。港の近くにいくつかその跡があるようなので、向かってみる。
これはなにをどうしようとしてる段階なんだろう? 老朽化により、結構長らく修復整備をしてるようだが、直してなにかに利用できるんだろうか。
ここから3~4分歩いたところに『稚内公園』がある。そんな北海道の地名の公園が! と驚いたが、どうやら友好都市提携の10周年記念(2001年)にオープンしたものだ。
公園で周囲の様子を見つつ、意外と犬のフンが落ちてるな……と避けつつウロウロしたりしてるうちに雪が降ってきた。すごい、雪の形が分かる……!!
観光サイトを見ると、「歩行者天国」だの「散策や買物を楽しむ市民が多い」だのと書いてあるが……、確かに今は真冬な上に平日で観光シーズンもオフ中のオフ。ほかに観光客も遊んでる人もいる訳がない。
どうにか遠くにある日本の島影を見ようとしたり、海辺へ出ようとしたり、よく分からぬままウロウロしすぎてお腹が空きすぎている。
空腹だがそんなに重たいものを食べたい感じでもなく、けど今すぐなにかを食べたい……。
スタローバヤ(大衆食堂)かなにかないだろうか……スタローバヤ……。
辿り着いたカフェがラグジュアリー
そう思ってたところで、ちょうど新しそうな飲食店が出現した。よし、ここだ! と飛び込む。
飲食店のメニューはほぼロシア語のみだ。この街が日本の街と友好都市だろうがなんだろうが、とにかくロシア語のみ。
ここでは店員さんが少し英語が分かるっぽい。ワンもツーも通じないレベルで分からない人も珍しくないので、ほんの少しでも英語が分かればありがたい。
こちらも片言、あちらも片言だとお互いちょうど良かったりもするが、そもそも私はどうやら英語に割と問題がある。
前回の海外のときに友人から
「いちいち単語しか言わないからこわい」
「『ゴリラ!!』とか『バナナ!!』とかいきなり叫んでる奴みたいに見えるからなんとかしろ」
と言われていた。
確かに支払いのときに「キャッシュ!」とか「マネー!」とかいきなり発していた。よく考えたらこわい。
なので、今回は極力「Would you」などを取り入れるように頑張ってるが、頑張ったところでたかが知れてる。
メニューを出され、「肉か魚か」みたいな話になった。いや、そんな大げさな話じゃなく、もうちょっと軽く……ピロシキとかブリヌイとか……パンとか……そういうので、いいんですよ……。
軽食……というと、えーと「ライト……フード……(直訳)」と言ったがまるで通じず(そりゃそうだ)
検索して、写真を見せることにした。注文時用に食べ物写真を色々と印刷してくればよかったかなとふと思ったが、それもそれで店側としては訳が分からないかもしれない。
おっ、通じたか!? と思いきや「ベリー?」みたいなこと言い出した。もういい、めんどくさくなってきたのでそれでいこう。
次に飲み物の話になり、「カーフィー」と言ったら「カプチーノ……OR(または)……」みたいなこと言い出したので、それも最初に挙げられたカプチーノにしておいた。
ロシアでの注文は毎回苦労している。ロシア語しか通じずメニュー写真もない店だと(※そういうところがほとんど)、博打みたいなもんだ。
想定してたより量が多い……!! アイスクリームまで付いてくるだなんて聞いてない。(そもそも聞けない)
美味しいけど、こんなにドカッと甘いものを受け入れる態勢じゃなかった……。甘くないカプチーノに救われた。
『王子製紙 大泊工場』の近くをウロウロする
歩いてると、工場が見えた。
地図と照らし合わせると、たぶんこれが『王子製紙 大泊工場』の跡だ。
ここに限らずオフシーズンなので観光客はいないし、見たい場合にどうすればいいのかよく分からない。
とりあえず遠巻きに眺めつつ、通り過ぎた。
通りすがりに大きめな商店(?)があった。ほんとこの街で店ばっか見てるな……と思いつつ、入ってみる。
入ってみたら、ホームセンターか! と分かった。貼ってあった宣伝用ポスターの状況がかなり謎だ。
鍋はちょっと欲しかったが、スーツケースにこれを入れるのはきついし、それ以前に日用品は日本で日本製のものを買った方がいいよな……と冷静になってやめておいた。
夕方になり、なんとなく交通量が増えてきた。夕飯の買い物や家に帰る人たち? という感じ。こっちもそろそろユジノサハリンスクに戻るか。
バスに乗ったら、小銭を運転手に直接手渡しするのだが、渡さなくても構わず走り出してしまう。無理やり渡すわけにもいかず、仕方なく着席。
様子を見てると、乗ってすぐ渡す人と降りるときに渡す人、両方がいる。そんなに適当では、誰から受け取ったか分からなくなりそうだけど、いいんだろうか。途中で大きな犬を連れて乗ってきた人も居た。なんでもありか。
40分ほど乗ったら、またユジノサハリンスクに着いた。
疲れたので、近くのスーパーで惣菜を買って、ジャケ買いしたビールのつまみにしよう。
『稚内市サハリン事務所』へ
ユジノサハリンスク駅から歩いて5分ぐらいのところに、『稚内市サハリン事務所』があった。これは『稚内市役所』の管轄事務所だ。ここは日本人の職員の方がひとり、通訳の現地の方がひとりという二人体制らしい。
連絡を取ってみたところ、お話を聞かせてもらえることに!
稚内とサハリンの関係って?
(※顔出しNGとのことなので、シルエットでお送りします)
「よろしくお願いします。この事務所はいつごろからあるんですか?」
「2002年に『サハリン事務所』を立ち上げて、私自身は2017年の7月からです」
「言葉は分かるんですか?」
「多少は分かります」
「稚内とサハリンはどういう交流があるんですか?」
「それは稚内市のホームページに詳しすぎるぐらい書いてあります。稚内の街の歴史は樺太と共にあるわけですよ」
詳しすぎるほど書いてある……とのことなので、流れをものすごく掻い摘んで説明すると
- 1905年、南樺太が日本領になる
- 1920年代 稚内まで鉄道が通り、樺太との連絡航路を開こうということになる。それを期に稚内は小さな海岸の裏からちょっとした街になっていった。
- 第二次大戦後、樺太は日本領ではなくなり、多くの日本人が引き上げてくる。稚内が日本最北端ということになる。そこでサハリンと稚内は行き来が完全になくなる
- 1972年、ロシア革命50周年ということで、あちこちで国外の都市との交流を結ぶと盛り上がった。サハリンのネベリスク市、「稚内との交流をしてみようじゃないか!」となる
- ……と言いつつ、70~80年代は往来は盛んじゃなかった
- 80年代最後のほうになってくると周辺諸外国との交流の機運が盛り上がってくる
- だが、当時北海道とサハリンは隣同士だけど直接の交通機関が存在しない!!(距離は近いのに移動に3日もかかる!! なんとかならないのか!!?!?!)
- 平成に入ったころ「ネベリスクから稚内へヨットで行こう!」みたいな挑戦が勃発。それならチャーター船で往来しようかということに
- その後、コルサコフ市、ユジノサハリンスク市とも友好都市となり、交流するように
こんな流れで、航路が開かれたそうだ。戦争が終わってから長らくは交流が断絶されていた。 なのでその間は稚内はロシアと関わりはないし、サハリンからも日本っぽさは消えていった。
「帝冠様式」の『サハリン州郷土博物館』
廃墟と化した樺太時代の痕跡はいくつか見たが、ダントツでものすごく綺麗なまま残ってる、赤茶の瓦屋根の建物がある。『サハリン州郷土博物館』(旧樺太庁博物館)だ。
「この建物って日本時代のものですよね」
「これは1937年竣工で、「帝冠様式」と呼ばれる建築物の最後の傑作かもしれないです。今でも日本国内で見られるのは、上野にある博物館の建物(東京国立博物館本館)だとか、名古屋の愛知県庁だとか……」
「あーー、どっちも見たことあります!」
「帝冠様式」というのは、鉄筋コンクリートの洋式建築に和風の屋根を付けるという昭和初期に流行った建築様式だ。1937年に日中戦争が始まり「派手な装飾は廃せよ」と急速に廃れていったというが、「サハリン州郷土博物館」はそのギリギリの時期に建てられてる。
「へぇ~、それで最後の傑作なんですね」
「勝手に言ってるだけなので、最後の傑作といえる「かもしれない」ということです。なので、ここの博物館に関しては、一番重要な展示物はある意味では建物そのものかもしれない」
「けど老朽化しますよね。細かく修理もされてるんですかね」
「2000年代に入ったころぐらいに、函館の瓦屋呼んで直したらしいんですよ。この赤茶色の瓦っていうのは、島根の方なら石州瓦って知ってるでしょ。その流れのものらしいです」
赤茶色の瓦は寒さにも強く、東北や北海道の一部でも多く使われているらしい。というか軽く私の出身地の話もしてたのだが、ここに繋がるとは……!
そしてやっぱ日本の技術で作ったものは、日本の職人を呼んで直すことになるんだなぁ。
博物館にはロシア語表記しかないので、Google翻訳でなんとか訳そうとしてみた。なんとなくわかるような、わからないような。
何カ所か翻訳しつつ読み進めてたが……
なんで間宮林蔵だけは何回やっても「マミア・リンゾ」なんだ。
サハリンの食文化が気になる
ユジノサハリンスクの市内には、いくつか日本食レストランがある。そのうち日本人オーナーのお店は2カ所。
サハリンは昔日本だったから、食文化だけはそのまま残ったなんてことは……?
「市内にいくつか日本食専門店がありますよね。あれはずっとサハリンに残られてた関係の方が経営されてるんですか? 『ふる里』ってお店は行ってみたんですけど、そこは日本人の方がオーナーですよね」
「あの方はね、90年代入ったころに縁あって仕事で来て、その後長い間こちらで活動されてる方です。札幌の方で、こちらに残って……という関係の方ではないです」
「じゃあ昔から残ってた方がどうこう……ってお店はないんですね」
「その『ふる里』のほかに『とよはら』ってありますけど、そこもなにか縁あって仕事で来られた方のお店です。その他の日本のものを出してるお店は、普通のこちらの飲食店経営者の方がやっておられます」
「前にタイに行ったときに、日本食の店を見かけることありましたけど、それと同じ感覚で出してるってことですね、きっと」
「色んな国で日本由来とされる料理が、それなりに支持されてるのと変わらないんじゃないかなと思います」
日本にも日本人経営の外国料理屋はいくらでもあるし、どうやらそれと似た感覚みたいだ。
それならスーパーでよく見かけるキムチはどういうことなんだろう? と思ったら、ところでお話を聞かせてもらった職員さんが書いてるブログを教えてもらったので一部引用させてもらう。
(細かく記されてるようで、うわー……これはサハリンの情報満載だ見逃してた……。ついでに上に書いた24時間花屋に関する記事もあった)
65rus.seesaa.net(以下、ブログ引用)
サハリンは「朝鮮半島に根を有する人達」も在る地域で、古くからキムチのようなモノが造られたり、販売されていた経過も在るものと見受けられます。そうした状況を踏まえて、加工食品を手掛けるグループでも製造ラインを確保して「独自製法(自社)製造」で商品を出しているのでしょう。こういうのは「ロシア国内」という観点では、「少し独特」なのかもしれません。
これに関連して、どの程度浸透してるかについて教えてもらった。
例えばサハリンからロシアの西のほうに出て行った人が、「最近キムチ食ってないなー」と、ふるさとの味として思い出す。
その程度には生活に浸透してるが、必ずしも米の付け合わせという扱いではない。テーブルに並ぶ色んな野菜の中のひとつ、という感じでもあるようだ。
ついでに、豆腐やもやしも普通に売られているようなので
食文化においては若干日本や朝鮮大陸のものが残ってる
ということになる。
ほんのちょっとではあるけど、残ってた……!!
箸使ってる人をいっぱい見かけた件
日本料理店だけでなくロシア料理の店でも箸が出てきて、気を使われたのか……? と思ってたが、地元っぽい人が箸を使ってるのも何度か見た。サハリンの箸事情ってどうなんだろう。
「こっちの人って、箸は使われるんですか?」
「朝鮮半島に根を持つ一族の方、その他一部のアジア系の人達の間では、古くから使っている例はあるように思いますが、最近覚えたという方もサハリンでは多いと思います」
「最近増えたんですか。みんな使える感じのものではないんですね」
「例えば稚内でサハリンの皆さんを迎えて食事をとる場合、備えてある箸を普通に使う方も多いのですが、「フォークが欲しい」と言う方も見かけます」
「ショッピングモールのフードコートで普通に使ってる人がいっぱいいて、ちょっとびっくりしました」
「フードコートというようなカジュアルな感じの場所での箸というのは、ロシアのほかの地域ではあまり見られないかもしれません。あそこにはあるラーメンらしきものも、ロシアの中ではまれだと思います」
「ロシアのサハリン以外の地域だと、箸を使う料理ってどんな感じなんですか?」
「大きな街でも近年は、箸を使って頂くアジア系の料理は増えてきてるようです。日本料理はちょっとトレンディーで高価というイメージで、近年のロシアのテレビドラマにもそういう描写が少し出ています。」
トレンディだったのか、和食……!!
……と驚いたところで、インタビューはひとまず中断。旅のつづきに戻らせてもらおう。
(※インタビューのつづきは【稚内編】で。)
ロシア人経営の日本食レストランに行ってみた
さっき話題にも出た、若者に人気な日本食レストランへ行ってみた。ロシア人がオーナーの『にほんみたい』は、ユジノサハリンスク市内にある。
内装は結構日本っぽくしてある。遠巻きに撮影してみたが、今思うともっと掛け軸を凝視して、どういうものか見てみればよかった。
席を取った3階から2階を見下ろすと、回転寿司のベルトコンベアーもある。このときは止まっていた。
日本っぽくはあるが、こんなに寿司レーンがあったり焼肉屋の個室もある店なんて見たことがない。一体なに屋なんだ。メニューを見てみると……
あんまり変わったものを食べても、日本で食べるのと比べて味がどうだと判断がつかないような気がして、「天ぷらうどん」を選ぶ。出汁や麺や具……それぞれどんな感じなんだろう。
日本のどっかその辺のうどん屋に適当に入って出されたと思えばそんな気がしてくる。普通に美味しい……!
あとは同じ建物の中に日本の食品の店があって、意外となんでもあった。
夜の『旭ヶ丘スキー場』
ところでユジノサハリンスクは、街の真ん中にスキー場がある。日本統治時代に出来たもので、その頃は『旭ヶ丘スキー場』だった。
すぐ近くにいかにもロ シ ア!! って感じの大聖堂があって、こっちも見ごたえある。
雪質もいいし、一歩外に出れば街中だし、滑るのが好きな人にとってはこんないい場所ないのでは。
明るい時間帯よりも、暗くなってからのほうが夜景が綺麗だとオススメされた。リフトはただの観光目的でも乗れるのだ。よし、暗くなってから乗ってみよう。
……と思ったら、、
撮影のためにしばらく出しっぱなしにしてたらこんなことに!! こんなの初めて見た。
落ち着け……まだスマホがある……とも思うが、スマホもマイナス10度ぐらいの場所でしばらく操作してると、50%からいきなり0%になったりするのだ。油断するな……。
こんな真冬の平日の夜にわざわざ観光のために来てるのなんか自分ひとりだ。係員以外誰も見当たらない。ほぼ貸切だ!!
山の中腹に到着した! 着いたところで街のほうを見ると……
風がちょっとあるので、地上よりも体感温度は低い。うおお……顔面が痛いぞ……というときには手編みのコレだ!
………とかやってたら、スマホの充電が唐突にプツッと切れた…………。
限界か……。
ひとまず山を下りるか……。
とりあえず、スマホとカメラを温めて復活させよう……。
カメラのほうは「低温のため電源が入らない」のなら充電はなくなってないはず。
スマホのほうは、突然「充電がなくなった」と表示されたので、一応モバイルバッテリーで充電しつつ温めよう。
一番手っ取り早く温まるとなると、懐に入れるしかない……。
息を吹き替えさせるために、自分の体温で温めてるうちになんだか親鳥みたいな気分になってきた。
しばらくすると、スマホが
ブルルルルル……
……と震えた。おお……生命の誕生っぽさがある……。
これでタクシーも呼べるぞ。もうすっかり慣れた気分でアプリでタクシーを呼んだ。
よし、車がきた。乗り込もう!
……と、乗車したところ
タクシーアプリを見る限り、車のアイコンはちょうどこの付近にいるはずなのだ。アプリを見せると、なにか言ってるが、なに言ってるんだ……。
これはどう考えても様子がおかしい。
たぶんこれ、全然関係ない車だ。
やばい、まったく関係ない車に乗ってしまった……!!! 謝りたいが謝る言葉も分からない。雰囲気で伝われ……
結局逆車線の団地の駐車場っぽいところにいたのだが、いやー、最後の最後でびっくりしたー!! 危ない人とかじゃなくて本当に良かった……!!
けど間違えて乗り込まれた方にしてみたら、言葉も分からない訳の分からない邦人がいきなり乗り込んできたのだ。こっちのほうがよっぽど不審者だ。すいませんとしか言いようがない。
サハリンでの最終夜はこんな感じでホテルに戻った。海外旅行は最後まで油断するな、ということか……。
帰国前に一度サハリンの印象をまとめてみると、
- 日本の建物や食べ物はそこそこ残ってるけど、雰囲気は完全に海外
- ロシアのかなり西のほうと比べると、アジアの要素は多い
- けど、それが「日本っぽい」かというと、そうでもない
という感じ。
基本的にはただの外国旅行気分で過ごしてたが、たまに「そういえばここ、70数年前は日本だったんだっけ」とわざわざ思い出して不思議な気分になる、という繰り返しの数日間だった。
日本に戻り、稚内へ行こう
5日間のサハリン滞在が終わった。ここから丸一日かけて160キロ離れた稚内に移動しよう。新幹線でも通ってれば1時間もかからず移動できる距離なのに、一日がかりだ。
飛行機に乗ったら札幌までは1時間20分。あっという間に着いた。そこから6時間バスに乗って北上する。
稚内編
稚内に着いた。今まで居たところとそんなに遠くもないはずだが、ここ……完全に日本だな。(当たり前だが)
稚内での宿はこちらだ。
海側(本物のサハリン側)の部屋を選んだが、窓からはほぼなにも見えない。
サハリンにちなんだものやロシアを感じられるものが、このホテルのほかに市内にどの程度あるんだろう。
まずは稚内駅へ
市内散策を開始しよう。まず駅前に来た!
この日はよく晴れてて暖かくて、最高気温が0度。最北端に行くということで構えてたが、なんだ、全然経験ある域じゃないか。(ロシアで買った帽子だと暖かすぎるかもと思い、この日は普通の帽子にしておいた。)
駅の中をちょっと見てまわろう。
ポスターからあふれるあの頃な感じがたまらんなーと、しばらく眺める。
サハリン稚内事務所で聞いた話によると、1950年代に南極観測隊が犬ぞりを連れて行ってた頃、その犬ぞりの練習は稚内でおこなわれてたらしい。
南極はサラサラの雪がぶわーっと風で舞う。「それと近い状態で練習ができる場所はどこだ」⇒「風がよく吹く稚内だ!」ということになったのだと。
ロシア語表記のものを見てまわろう
稚内の市内では、看板や標識のロシア語表記をよく見かける。
案内標識、交通系
まずは駅周辺の標識や交通系の看板から。
店の看板
つぎに駅の近くの『中央商店街』へ。この通りにあるお店は、ほとんどがロシア語でも店名が表記されてる。
スーパー銭湯
途中でゆっくりお湯に浸かりたくてスーパー銭湯に行ったのだが、そこにもあった。
中に入ると……
なぜロシア語表記のものがこんなに?
こんな表記が多いのは「近いから?」という解釈をしてたが、これについては『稚内サハリン事務所』に行ったときに話を聞いていた。その話をここで思い出してみよう。
「稚内の標識や看板にされてるロシア語表記って、いつ頃からあるんですか?」
「90年代に、水産物を売る目的で稚内港に来るロシアの貨物船が激増した頃です。その船に乗ってる人たちが上陸(※)するようになりました。」
(※外国と往来する船や飛行機の乗員に上陸を認める「特例上陸」という、通常の出国・入国とは別枠での上陸)
「激増というと、どのぐらい来るようになったんですか?」
「一番多かったとき、年間延べ数で船が4000隻入って7万7000人来たんです。その頃の稚内市内の人口は4万5000人です。」
「人口より多いロシア人が……」
「例えばどっかの飲食店で、お客さん入って賑やかになったんだな……と思ってパッと見渡したら、ロ・シ・ア・ジーーーーーーーン!!! っていう状態。だからその頃から案内標識にロシア語を入れてみたりっていうのが出てきました。」
「今はその頃と比べてどうなんですか?」
「90年代にそんな風に爆発的来たんだけど規制の強化が入って、一時は何千隻も入ってたのが、何百とか、いって千とか、ガタっと減りました。」
ピークは2007~8年で、貨物船の入港数はダントツで北海道一位。その多くはカニの輸入だ。
車社会なので住民は車で移動するからほぼ歩いてない中、ロシア人だけが歩いてるような頃があったという。
「標識以外だと、商店街にもロシア語の文字が書いてあるんですよね?」
「あれは94~5年だと記憶してますけど、そういうみなさんが来るようになって、商店街の活性化を期待して字を付けたんですね。
字を付けたのはよかったですが、必ずしもその船員のみなさんに人気のお店でもなく、特に賑わった訳でもないんです。そのうち年月は経って、看板はそのままです。
八百屋って古い看板が残ってるんだけど、下で魚屋やってる……ぐらいにちぐはぐな箇所もあります」
確かに商店街はかなり静かだ。看板のロシア語表記は当時のままだが、建物の老朽化で取り壊されたり、当時とは別のお店になったりもしてる。
ようやく正しい知識に辿り着く……!
私は10年ぐらい前にロシアに興味を持ち始めたが、実際に行くようになるまで
「ロシアちょっと気になるけど、実際行くとなるとハードルが高すぎる」
と思っていた。
(ついでに2008年まで「海外なんて行ってやるか」と個人的に鎖国してたレベルに海外食わず嫌いだった。まず台湾へ行き、その後徐々に海外慣れして行って、初めてロシアに行ったのは2017年。)
その「気になるけど無理」だったころ
「稚内では、標識や店頭にロシア語が書いてあったりするらしい」と知り、
「もし稚内でそこそこロシアに行った気分になれるなら、稚内にしとこうか」
「ロシアに行かなくても日本で一番ロシア気分が味わえるところに行きたい。稚内か。(もしくは新潟ロシア村か、いやけどそれはもうない……)」
……というようなことを結構本気でたびたび言っていたのだ。こんな実情も知らずに!!
ようやく正しい知識に辿り着いて、感慨深いというかなんというか。
宗谷岬にサハリンを見に行く
日本最北端の宗谷岬から、サハリンが見えることがあるらしい。ただしよく晴れていれば。
宗谷岬は稚内市内ではあるが、稚内駅からバスに乗って50分。まあまあ遠いが今までのことを思うとすぐだ。
つい1~2日前まで居た外国の島を見に行こう。
日曜なので、同じように宗谷岬に行く人も多い。やっぱ日本国内だとバスに乗るのも安心感がありすぎる。
バスに乗りつつ、こっちの家は煙突があるなぁ……とかボーっと思いながら外を眺める。
バスの中から回転寿司屋を見つけ、「よし、帰りはここで下車して寿司を食べよう」と決めた。だいたいの場所を控えておく。北海道の回転寿司はクオリティ高いというし、せっかくなら食べておきたい。
そしてまた煙突を見つけては、なんとなく撮影したりして過ごす。
だんだん民家も少なくなってきたので見えてきた海なんかを見つつ、「宗谷岬」と聞くと昔『みんなのうた』でやってた『宗谷岬』の歌がエンドレスで脳内に流れてくるな……とか思いつつぼんやりしてるうちに着いた。
見えるんだろうか、サハリン。
そもそも稚内は日本海側なので冬はどんよりした気候が多いようで、こんなに晴れてる日もまれ。(私も日本海側出身なので冬の晴天が珍しい感覚はよく分かる。……というか北海道の場合、どこまでが「日本海側なんだろう?」と思ったら、ちょうど宗谷岬辺りが境界線らしい)
ここからでも見えるのはかなりコンディションが良くないと……ということだけど……
うおお…… 見えた~~~!!!!
ものすごくくっきりとした山!!!
この公園の周りで観光ついでに立ち寄れるところというと、土産物屋と食堂があるが、オフシーズンなのでやってないっぽい。
土産物屋だけは営業してたので、ここで自分用のものをいくつか購入。最北端に達した証明書も発行してもらった。
宗谷岬の滞在時間はバスの都合上40分。それを逃すと、3時間以上待つことになる。
それならここにしばらく居ようか……ともちょっと思ったが、結局40分後に来たバスに乗り、行きがけに「帰りにここで降りて寿司を食べよう」と決めた場所で降り、無事寿司を食べた。
『稚内市役所』にも行く
『稚内市サハリン事務所』はサハリンにあったが、その本拠地はもちろん『稚内市役所』だ。その中に『サハリン課』というのがある。
せっかくだし、こっちにもお邪魔させてもらおう。
『サハリン課』って?
「サハリンの事務所のほうにも伺ったんですけど、よろしくお願いします。
ところで『サハリン課』っていうのがあると知ってビックリしたんですけど、
自治体で海外の友好都市の課があるところって、かなり珍しいですよね。どういうことをやってるんですか?」
「普通は物産だとか、交流だとか……っていうのをそれぞれ縦割りでやってるんですが、うちはサハリンという一括りにして、オールラウンド的な業務をこなしてます」
「この課の方はみなさんサハリンに行った経験があるんですか?」
「赴任の経験者もいますし、みんな出張では行ったことがあります。なにかあればすぐに行けるような体制になってます」
「やっぱ千歳から飛行機ですか? フェリーも使われたりとか……?」
「夏はフェリーですね」
「へぇぇ~。フェリーってどうなんですか」
「速いですよ。波が静かであれば乗ってる時間は4時間を切ります」
「コルサコフのあの港に着くんですよね。そこからみなさんやっぱりあのバスに乗ってユジノサハリンスクに行かれるんですか?」
「ほとんどの方はエージェントの方が用意したバスに乗ります。『地球の歩き方』かうちで作ったパンフレットにバス停の番号を載せてるけど、一般の方が観光できるような情報量はなかなかないんですよね。バックパッカーの方がふらっと行くようなかんじの情報しかないです」
「じゃあサハリンにカジュアルに行かれる方ってあんまりいないんですか?」
「いないですよ」
「えっ……!!(予想以上にキッパリといないと言われた……)
けどスキー場もすぐそばにあるしすごい良いところだなと思ったんですけど」
「すばらしいスキー場ですよね。ニセコ級のスキー場が中心市街地に隣接してるところなんて、ほかにないですよ。値段も安いし。あそこのゴンドラは東洋一スピードが速いゴンドラだっていってますから」
「日本からこんな近くにこんなところがあるのに、行く人少ないのもったいないなーと思いました」
「これから増えるんじゃないですかね。住み心地もよかったですよ」
「タクシーアプリの使い方さえマスターすれば移動もしやすいですしね。『ヤンデックス』を使ってました」
「バスにも便利な『2GIS』というアプリがあるんですよ。バスの番号、距離、時間が全部わかるようになってます」
「へええー、次の機会があったら入れてみます」
ほかのサハリン関連の施設について
稚内にほかにサハリンに関連のどんなものがあるかというと、まずはビジネスに関する手伝いをするような役割の協会。
あとは樺太の歴史を展示してある『樺太記念館』。ここは食事や土産物屋も入ってる結構新しめの複合施設の中に入ってる。上で紹介したスーパー銭湯も同じ建物にある。
中にある資料を見つつ、「あーー、これ行ったところだ!!」と分かるのが面白い。
もしかしたらこれをやるために、サハリンまで行ってその後すぐにここまで来たのかもしれないとすら思える。
例えばこの大通りだと、
あとは駅前。
地図を見る限りどう見ても日本なのに、たった数十年ですっかり外国なのが不思議な感じだ。
稚内から撤退したものも多い
以前サハリンから輸入され稚内で販売されてた『林蔵ビール』というのも2~3年前に撤退したようだし、ロシア人向けのお店や免税店も減っている。
ロシア人向けの物を販売している会社で、誰でも行けるお店として営業しているところは今はないようだ。
上陸する船員が減ったとは言え、まだまだお店の需要はあるはずだ。
「滞在してる船員さんがよく行くところってどこですか?」
「『西條』だよね」
「あ、そこなら行きましたよ!」
ショッピングセンター『西條』なら、宗谷岬の帰りに寿司を食べた後に寄ってたんだった。ここにも免税カウンターがあるらしい。
「それ以外は『ダイソー』だとか、ホームセンター、スーパーマーケット、ドラッグストア……そういうところですよ。船員枠で買えるだけ買っていくんです。何キロまでは税金がかからないって決まりがあって、転売したり、頼まれたり」
「どういうものが人気なんですかね」
「ロシアの方でも健康ブームで、サプリメントがよく売れるみたいです。そういうのは日本の方が進んでるから。あと炊飯器。」
「サハリンに炊飯器って売ってないんですか?」
「基本的にないですね。だから日本から買って行ったり、変圧器使ったり。以前稚内にロシアでも使える(電圧が)220Vの炊飯器が売ってたんですね。今はもうないですけど」
「それ見てみたかった……!」
そんなピンポイントな商品が売られてたなんて、かなり貴重だったのでは。けど変圧器を使えば済む話か。
道庁が作ってるサハリンのマンガ
「あとはこんなものがあるんです」
「なんですかこれ!」
「北海道の道庁が作ってる、高校生のステイ交流のマンガです。学校に配られてます」
「おおお……こんなものが! そういやサハリンに留学する学生さんっているんですか?」
「稚内の学生の短期留学もありますし、北大とか、姉妹校になってるところが何カ所かありますよ」
「いるんですか。へぇー! それってなに学ぶんですかね」
「ロシア語では?」
「そうですよね……」
旅客ターミナルを案内してもらう
稚内港の旅客ターミナルは基本冬季は入れないのだが、市役所でのインタビューの流れでなんと案内してもらえることに! え、いいんですか……!!
撮影可能なのはここまでだ。あとはX線検査や検疫カウンター、税関カウンター、出国ゲートなど、国外に出るための一式が揃ってる。
国外に出るから揃ってるのは当然だが、無人のどこにでもありそうな施設にそう書かれてると、なんかちょっと嘘みたいに思えてしまう。
ほんとはここから出国してみたいが、今はこれで精いっぱいだ。
ここからなら4時間でサハリンに行けるのなら、いつかここから出航してみたい……。早めに計画して、稚内までは羽田から飛行機で早割で取れば安く上げるのがいいかなぁ。
つぎは夏場に行ってみたい。というかそもそも北海道も夏場ならレンタカー借りてあちこちまわれたのに、それができず断念した場所もあったりした。やっぱ冬に来るのが間違いなのだ(今更だが)。
いよいよ旅が終了
いろいろ見てまわって話も聞けたし、あとは帰るだけか……と思ってた帰る前の日の夜。
あ~~タコうまかったなーと、強風にあおられつつホテルに向かおうとしてたら、暗くて分かりづらく道を一本間違え、それに気づかず「なかなか着かないな」と思いつつ、稚内の薄暗い道をひとりでぐるぐると徘徊することになった。
見慣れないものが現れると楽しくなってきて、もっと珍しいものを探したくなる。
よし、記念撮影だ! とカメラを人んちの塀に置いてセルフタイマーをセット。10秒待とう……とカメラから離れたところで、カメラが強風にあおられ「ズズズズ…………」と塀から落下。
うわああ カメラが落ちたぞ 塀の上に置きなおそう!!急げ!!
……という瞬間にカシャッッとシャッターが。
「なにかおかしいな」と思い始めた。ホテルまで行くのにこんなに歩かないはずだ。
人に聞けるもんなら聞きたいが、住宅はあるのに人がいない。
グーグルマップには「15分引き返せ」みたいなことを言われる。
え、いつのまにそんなことに。
ふと「なんでこんなところ歩いてるんだっけ」という気分になる。
外国だと危険な目に遭わないよう多少は気を張ってたが、国内に戻ってしかも旅が終わるとなった途端、気が緩んだのか。
迷子になったのがサハリンの山奥とかじゃなくてよかった。
「稚内にロシアっぽさはあるのか、サハリンに日本っぽさはあるのか」
「ロシアと日本の境界線を見たい」と企画したこの旅だったが、
- 稚内にロシアっぽいところがあるのではなく、よく上陸するロシア船員に対応した結果のロシア語併記などが、外から見ると珍しく見える
- サハリンはもう完全にロシアだったが、食文化においては若干日本や朝鮮大陸のものが残ってる
ということだったのだと分かった。
それ以外は稚内は完全に日本だし、サハリンは完全にロシアだった。
ずっと気になってたところにようやく行けて満足だったし、極寒のロシアを体験できたのも楽しかった!
もう冬には来ないけどまた来ます。
さようなら~~~!!